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伏見康生のコラム
「NO.75: 「政府による和牛改良」」

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2010年1月27日

 明治維新後、海外の文化が新しく入ってくるにつれ、乳や肉に対する需要が高まってきました。その結果デヴォン種、ショートホーン種、ブラウンスイス種、ジャージー種その他の外国種が政府(なんと大蔵省)や民間の手で相当輸入されるようになりました(明治20年までにおよそ2700頭)。これらの外国種は一部和牛にも交雑されていますが、その目的は何れも乳用種や肉用種を作っていこうとしたもので、和牛自体の改良を目的としたものではありませんでした。

 明治三十二年(1899年)に、農商務省の農務局に畜産課ができました。政府が直接和牛の改良に乗り出したのは、翌明治三十三年「和牛改良調査委員会」が設置されてからのことです。日本在来牛の改良を目的とし、広島県比婆郡に七塚原種畜牧場を新設、スイスからシンメンタール、ブラウンスイスが、スコットランドからエアシャーが輸入されました。さらに第一回中国五県連合畜産共進会が開催され改良の熱はいやがうえにも高まり、中国・九州地方など各県では独自に外国種を輸入していきました。例えば島根県ではデヴォン種、広島県ではショートホーン種、鳥取・兵庫県ではブラウンスイス種を入れ、盛んに雑種生産が行われ始めました。

 すると・・・明治三十三〜四十一年頃には雑種万能時代が訪れました。雑種を作ると高く売れ、牛成金が続出しました。しかし、その時代はほんの一瞬のバブルのようなものでした・・・

(つづく)

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