(有)シェパード[中央家畜診療所]がおくる松本大策のサイト
伏見康生のコラム
「NO.73: 「和牛改良の日の出」」

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2010年1月13日

 大昔の祖先は牛肉を食べていましたが、仏教が伝来(538年)してからは戒律によって殺生が戒められました。そして天武天皇により牛肉を食べることが禁じられました。その後明治以前まで、和牛は現在のように肉用牛としての需要と価値があったわけではなく、主として農耕や運搬などの役畜として日本の農業の歴史と共に歩んできました。和牛は関西、中国、九州などの西日本で飼育が盛んだったようです。
 政府による和牛の改良が行われる以前、今から200年ほど前の元禄年間(17世紀末〜18世紀初頭)に中国地方では熱心な農家さんや家畜商、鉄山師などによって、いわゆる「蔓」と呼ばれる優良系統牛の造成が行われていました。蔓牛の作出は現在の和牛改良の先駆けとも言え、多大なる貢献をしています。

 昨日、シェパードが診療で回らせていただいている農家さんで夕ご飯をご馳走になりました。そこで、おじいちゃんに昔の和牛のお話を聞くことができました。役畜としてはもちろん、牛肉としても需要が高まってきたころ(昭和初期)、鹿児島の片田舎阿久根や出水では平野はもちろん山間部にも人々が暮らし、必ずといっていいほど牛を飼い共に生活していたそうです。おじいちゃんも物心ついたときから牛とともに生活し、とても大切していました。農閑期には何日とかけて遠く天草や佐賀まで足を運び、気質、資質のよい牛を買い求め、自宅まで連れ帰っていたそうです。農家さんの牛を大切にする心と、熱心な気質に現在の和牛の原点が見えるとてもよいお話を聞けました。

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