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このHPで私がコラムを執筆することになるとは、思ってもいませんでしたが恩義ある松本先生の薦めもあり、普及員の立場で和牛振興に取り組んできた人間として、これまでを振り返って書かせていただくことにしました。(これを機会に、私の名刺にはコラムニストと書こうと思います) 北海道は、今でこそ和牛が13万頭もいる、全国で3番目の和牛産地となりましたが、私が普及員になり立ての頃(1980年代)は、放牧地での牧牛による本交が主体でした。繁殖牛が妊娠した後は舎飼いして分娩させ、子牛にもあまり手間をかけずに子牛市場に出荷していたために子牛の発育は悪く、腹ばかりが目立つ骨張った子牛が市場に出されていました。今から思えば、栄養が不足気味で子牛にとっては受難の時代ではなかったかと思います。なにせ、ほ育中は腹を空かしていても、母乳と少しのフスマと乾草などで育てられていたからです。 今では肉牛飼養標準に基づき必要な栄養が充足され、立派な肥育素牛が市場出荷されるようになりました。ほ育中のスターターも肉牛用の、栄養価が高く消化性の良いものが出来、子牛の発育向上に貢献しています。 私は離乳までの飼養管理がうまくいって、その子牛の能力を100%発揮させる発育が出来れば、去勢牛であればその後の肥育は半分成功したと言っても良いと考えています。その理由については、私なりに考えている和牛飼養のあれこれとともに、このコラムの中で次回からお話しさせていただくことにします。
つづく 著:胆振普及センター 出雲将之 |